©武藤 章
世界が未曾有の不幸に包まれた今年2020年は、音楽の父ヨハン・セバスティアン・バッハの没後270年という、記念すべき年である。同じく、ベートーヴェンの生誕250年の記念の年でもあるが、このような世界の状態では、皆でその祝祭を行い、感動を共にすることが難しいことになってしまった。
幸い、我が国日本では、完全な形にはまだまだ遠いが、それでも、感染対策をきちんと講じれば、同じ空間の中で音楽を共有し、感動を共にすることが許されるようになってきた。神に感謝である。
今日、私たちVOX GAUDIOSAは、バッハのメモリアルイヤーということで、2つのモテットを中心に、現代のモテットとともにプログラムを組んだ。
バロックのレトリックである、「鮮やかな対比」を、プログラムでも現してみよう、というわけだ。
バッハの世界、それは信仰の深さの具現、証明である。一つひとつ、丁寧に作り込まれた美しいパーツが、綿密な計算の上に構成された美しいフォルムは、ひたすらな神への愛と希望が作り出す精神世界だ。これまでの生活様式や常識といったものが脆くも崩れ去った今年、私たちは死生観について嫌というほど考えさせられた。人間はなぜ生きるのか。その根源的な命題を突きつけられた。即物的で、利己主義に陥っていた社会が、嫌でも、哲学や宗教、共存、助け合い、愛することとは、などについて考えさせられた。
そんな今年に、バッハのモテットを演奏させていただくチャンスを与えられたことは、まさに奇跡的な喜びと言える。聖書のことばを噛みしめ、音楽にするとき、私たちの心はつつましくなる。そして、出口が見えない苦しさの中でも、光に導かれている実感を得ることができる。
バッハのモテットは、教条主義的でなく、非常に人間的、喜怒哀楽をわかりやすく表現してくれている。さも、バッハ自身が「お互い、人間として楽しく生きようや、神に導かれているのだから」と言ってくれているようである。
そこには、「融和」「和解」「理解」を感じるが、今の世の中に見られるような、「分断」「競争」「勝敗」といった世界は全く感じない。
このコロナの時代に、私たち人間が何かを感じ、変えていかないと、創世記が再び現実になる日が来るような気がしてならない。いや、もう物語は始まっているのかもしれない。
気づかないと。
私たちは、バッハからそう教えられているような気がしてならないのだ。
音楽監督・常任指揮者
松下 耕
昨年も甚大な被害をもたらした台風19号の影響で開催が危ぶまれた弊団の定期演奏会だが、今年も新型コロナウィルスが猛威を奮う中、開催を諦めかけた時期があった。まずはこうして頼もしい仲間達と共に演奏会を開催できる事を素直に喜びたいと思う。そして、演奏を聴いて頂く全ての皆様に感謝を申し上げたい。
新型コロナウィルスにより人々の接触が制限される中、「リモート」「オンライン」が中心の世界へと時代は変化した。端的に言えば、人が集い時間と空間を共有する事を基本的な営みとする合唱音楽とはあまり相性が良くない時代といえる。しかし、この不可逆な変化に見舞われる中で、合唱音楽の世界でも沢山の新たな試みが生まれている。科学技術の進歩により、離れていても音楽作りができる環境が生まれ、私たちもその恩恵を受けて外出自粛の中でも活動する事ができた。ただ、技術が全てを解決し、これまで通りの活動が出来るわけではない。そしてまた一方で、現場に集まる事が、「リモート」「オンライン」での活動と比べて無条件に優れている訳でも決してない。
結局のところ、時間や空間を超えて共感や感動を呼ぶ普遍的な価値を持つ音楽、というものは確かに存在しており、私たち演奏家は素晴らしい作品を媒介に、そのような音楽を表現する事を目指して日々努力しているのだと思う。その意味で、今回演奏するバッハのモテットという作品はまさにこの「普遍的な価値を持つ音楽」であり、コロナ禍の中でもこの素晴らしい作品にじっくりと取り組めた事は、私たちにとって何よりの財産になった。
科学技術の発展により「宗教」という存在を取り巻く環境は変化しているが、しかしやはり、自分ではどうしようもない強大な力に襲われた時に出来る事の一つに祈る事があり、祈りを通じて心を通わせる、という営みは私たちにとって大切な意味を持つ。音楽を通して300年前にバッハが込めた祈りに触れる事は現代に生きる私たちを励まし、勇気づけてくれた。皆様にも、決して堅苦しくなく、人情的なバッハの音楽を楽しんで頂けるとこれ以上の喜びはない。
今回は、コンサートホールに足を運べない方のためのライブ配信にも挑戦する事にした。新しい時代の中で、新たな試みにも挑戦しながら、普遍的な音楽表現に取り組む、そんなガウディの想いが聴いて頂ける全ての皆様に届く事を信じ、演奏したい。
最後に、このような状況でも快く共演を引き受けて頂いた新山恵理様、神戸愉樹美様に深く御礼を申し上げます。また、私たちに音楽の深遠さの一端を見せ、導いてくれる松下耕先生に心から感謝申し上げます。
それでは、どうぞごゆっくり音楽をお楽しみください。